これまでのコラム
第8回 SDV(software defined vehicle)の製品開発組織-1 所長 藤本 隆宏 2026年4月20日
2026年4月20日
第8回 SDV(software defined vehicle)の製品開発組織-1
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
第7回では、「電気自動車(EV)のその後」と題して、EVオンリー論の行き詰まりと、その後の中国を中心とするSDV(software defined vehicle)の発展について触れました。ここからは、SDVのように、インテグラル型とモジュラー型が混在するソフトウェアの開発における、その組織の在り様を、数回にわたって考えていきます。
インテグラル(擦り合わせ)型製品、とりわけ高機能自動車のハードウェアでは、強力なインテグレーターである重量級プロダクトマネージャー(HWPM)の開発組織を採用する企業が、新製品開発で成功率・総合商品力の高い傾向があったと考えられてきました(藤本・クラーク, 2009:原著はClark and Fujimoto, 1991)。
一方、製品が機能完結的な部品や要素を標準インターフェースでつなぐ形で構成されている、アプリケーションソフトやインターネット製品に代表されるような調整節約的なモジュラー型製品の場合は、HWPM型とは異なる形の開発組織が有効である可能性があります。
一般にそうしたモジュラー型製品の開発リーダーは、往々にして「インテグレーター(調整者)」ではなく、「アーキテクト(構想者)」だと言われています(Ulrich, 1995)。その新製品に盛り込む製品機能の束を決め、機能開発の優先順位を決め、基本設計を統括し、部品間のインターフェースの設計を指揮して、製品や製品群の全体アーキテクチャを決めるシステムエンジニア的な仕事です。
これを踏まえ、ひとつの製品の中に、①3万個ともいわれるハードウェア部品と、②高性能コンピュータと、③1億行を超える組込ソフト・アプリソフト・OS、これらが同居する製品を開発するとしたら、はたしていかなる製品開発組織が相応しいでしょうか。それは、現代において最も難しい製品開発のひとつといえるでしょう。この難しさとは、技術的というより、むしろ「複数のアーキテクチャ(設計思想)が混在する非常に複雑な製品」という難しさと考えるべきでしょう。
デジタル化の時代、純粋にデジタルな製品ばかりではなく、デジタル部分(モジュラー型のソフトウェア)とフィジカル部分(インテグラル型のハードウェア)が複雑に入り組んだ混合型の製品の開発が重要性を増しています。SDVがまさにその典型的な製品です。総合商品力を高める開発組織や開発リーダーの在り方は、新製品で勝負する企業にとって、今後も重要な課題となるでしょう。
次回以降で、SDVの製品開発論に進む前に、その構成要素となる、自動車、コンピュータ、ソフトウェアの各産業における製品開発論を概観します。
参考文献
Clark K. B. and T. Fujimoto (1991), “Product Development Performance: Strategy, Organization, and Management in the World Auto Industry.”, Harvard Business School Press.
藤本隆宏・キム・B. クラーク (2009), 『増補版 製品開発力:自動車産業の「組織能力」と「競争力」の研究』(田村明比古訳)、ダイヤモンド社
Ulrich Karl Thatcher (1995), “The Role of Product Architecture in the Manufacturing Firm.”, Research Policy 24(3), pp.419-440
インテグラル(擦り合わせ)型製品、とりわけ高機能自動車のハードウェアでは、強力なインテグレーターである重量級プロダクトマネージャー(HWPM)の開発組織を採用する企業が、新製品開発で成功率・総合商品力の高い傾向があったと考えられてきました(藤本・クラーク, 2009:原著はClark and Fujimoto, 1991)。
一方、製品が機能完結的な部品や要素を標準インターフェースでつなぐ形で構成されている、アプリケーションソフトやインターネット製品に代表されるような調整節約的なモジュラー型製品の場合は、HWPM型とは異なる形の開発組織が有効である可能性があります。
一般にそうしたモジュラー型製品の開発リーダーは、往々にして「インテグレーター(調整者)」ではなく、「アーキテクト(構想者)」だと言われています(Ulrich, 1995)。その新製品に盛り込む製品機能の束を決め、機能開発の優先順位を決め、基本設計を統括し、部品間のインターフェースの設計を指揮して、製品や製品群の全体アーキテクチャを決めるシステムエンジニア的な仕事です。
これを踏まえ、ひとつの製品の中に、①3万個ともいわれるハードウェア部品と、②高性能コンピュータと、③1億行を超える組込ソフト・アプリソフト・OS、これらが同居する製品を開発するとしたら、はたしていかなる製品開発組織が相応しいでしょうか。それは、現代において最も難しい製品開発のひとつといえるでしょう。この難しさとは、技術的というより、むしろ「複数のアーキテクチャ(設計思想)が混在する非常に複雑な製品」という難しさと考えるべきでしょう。
デジタル化の時代、純粋にデジタルな製品ばかりではなく、デジタル部分(モジュラー型のソフトウェア)とフィジカル部分(インテグラル型のハードウェア)が複雑に入り組んだ混合型の製品の開発が重要性を増しています。SDVがまさにその典型的な製品です。総合商品力を高める開発組織や開発リーダーの在り方は、新製品で勝負する企業にとって、今後も重要な課題となるでしょう。
次回以降で、SDVの製品開発論に進む前に、その構成要素となる、自動車、コンピュータ、ソフトウェアの各産業における製品開発論を概観します。
参考文献
Clark K. B. and T. Fujimoto (1991), “Product Development Performance: Strategy, Organization, and Management in the World Auto Industry.”, Harvard Business School Press.
藤本隆宏・キム・B. クラーク (2009), 『増補版 製品開発力:自動車産業の「組織能力」と「競争力」の研究』(田村明比古訳)、ダイヤモンド社
Ulrich Karl Thatcher (1995), “The Role of Product Architecture in the Manufacturing Firm.”, Research Policy 24(3), pp.419-440
特別編 野中郁次郎先生から学んだこと
2025年4月7日
野中郁次郎先生から学んだこと
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
故・野中郁次郎先生は、私より20歳年上の大先輩だが、日本の経営学と経営者に対し常に本質的な方向性を示し続けた、唯一無二の存在だったと言える。
先生は「私は富士電機10年」とよくおっしゃっていた。10年のサラリーマン生活の後、研究者の道を選び渡米されるが、富士電機の10年間に何をされ、何を考えておられたのか、とても興味がある。豊田紡織時代の大野耐一さんと同じぐらい興味がある。私も大学卒業後、数年間民間企業にいた人間なので、野中先生は若い頃からロールモデルであられた。
野中先生のデビュー作は『組織と市場』(1974年)で、私の大学入学の年だ。当然、学生時代に読んでいたが、これは、環境の情報処理負荷と組織の情報処理能力のマッチングを考えるコンティンジェンシー理論であり、当時の欧米の主流的考え方であった。
ここから、1978年の野中・加護野・小松・奥村・坂下著『組織現象の理論と測定』ごろまでは、統合的コンティンジェンシー理論の構築が主題であり、欧米の組織論を徹底的に吸収している。独自の経営学を構築された野中先生の土台の所には、こうした、欧米主流経営学の徹底的な吸収があり、学問的アプローチとしては王道であったと言える。
野中先生と最初にお会いしたのは、1983年に伊豆で行われた国際コンファレンスだったと思う。私はここで技術システム論の論文を発表し、それがサラリーマンから学者に変わるきっかけとなった。そしてここには、恩師の土屋先生をはじめ、野中先生、伊丹先生、加護野先生、竹内先生、奥村先生、同世代の金井先生、米倉先生、海外からは後の師匠であるクラーク先生、ポーター先生、スペンス先生など、すごいメンバーであった。野中先生は既に日本チームの中心メンバーの1人であり、海外の一流学者と対等に話をする野中先生はすごいなと、見上げる存在であった。
この国際会議がきっかけで、私は、三菱研究所からハーバードビジネススクール博士課程に移り、クラーク教授のもとで製品開発論の研究をやっていたが、その頃には、野中先生・伊丹先生・加護野先生・土屋先生などが、かなりの頻度で、ハーバードやMITのあるボストンに来られていたので、その際に、野中先生にも時々お会いしていた。
私がボストンにいたのは1984年から90年頃だが、最初来られた時は「藤本くんは製品開発の情報処理論か。しかしこれからは、情報処理だけではダメだ。情報創造を考えろ」とおっしゃったので、次にボストンに来られた時に「確かに製品開発は情報創造なので情報創造と言い換えました」と言って、褒めてもらえるかと思ったら、「藤本くん、情報は古いよ、これからは知識創造でなきゃいかん」とおっしゃるので、ちょっと困った。私は技術生産管理論だったので、金型が設計情報を持っているとは言えるが、金型が知識を持っているとはさすがに言えないので、すみません分野が分野なので、情報でやらせてください、と申し上げた記憶がある。
まさに、この頃が、世界的な理論となる野中先生の知識創造論が形成されていた時代だと言って良いだろう。その意味で、私が最も影響を受けた野中先生のご本は、実は1985年の『企業進化論』である。私自身、後に『生産システムの進化論』を書き、進化経済学会長もやるのだが、野中先生の戦略進化論の影響も大きい。
『企業進化論』は、野中先生ご自身の理論の発展過程をたどることもでき、同業の若手研究者としては勉強になった。山の3合目あたりを彷徨していた当時の私から見れば、はるか先、山頂の少し手前の8~9合目あたりを登り続ける野中先生の足跡を追いかけることの方が魅力的であった。実際、この本の第4章「戦略創造の組織」では、野中理論の原点である70年代の「情報処理」概念とコンティンジェンシー理論が語られ、そこから自己組織化概念、ホンダ製品開発の事例、企業進化の理論を経て、第6章で「情報創造」が登場する。しかし1985年のこの本には、まだ「知識創造」は出てこない。まだ「登山中」の本であったわけだ、
野中先生のもう一つの大きな仕事は、太平洋戦争における日本軍の戦略的失敗を分析した「失敗の本質」から「知略の本質」に至る、防衛大学校の方々との共同研究である。野中先生は従軍経験のある世代ではないが、強烈な空襲体験は持っておられたとお聞きする。
余談だが、私の父(藤本威宏)は1920年生まれで、一橋大学卒業直後にブーゲンビル島にて従軍、25歳で同島撤退戦を指揮したときの日記をもとに「ブーゲンビル戦記」を書き、防衛大学校でも教材に使われ、後にアメリカ人著者Jannotta氏の戦記「Extraordinary Leaders」でも取り上げられた。父は私が14歳の時に亡くなったが、ブーゲンビルでの苦労話を子供の私によくしていて、私にとっては本物の「実践知」を学ぶ機会であった。
さてその後、野中先生は「知識創造論」を完成させ、SECIモデルが世界的に有名になったが、そのころ、私も野中理論の実証に少し貢献できたかな、ということがあった。当時の野中先生は、実はトヨタよりホンダがお好きで、事例にもホンダがよく登場していた。ある時先生が、「どうもトヨタは好きになれんのだよなあ」とおっしゃるので、私がよく見ていたトヨタの生産現場について、「リーダーが作業標準を常に見直し、内面化し、新しい生産性向上仮説を立て、実験し、それを新しい作業標準に再構成し、メンバーが内面化する、ということをやっていますが、あれはSECIそのものじゃないですか」と申し上げたところ、「ほうそうかね」とおっしゃって、その後、気のせいか野中先生のトヨタ・ケースが増えたように思われる。
こうして竹内弘高先生との名著『知識創造企業』で世界的存在となって以後の野中先生は、アリストテレスの「ニコマコス倫理学」などに戻って、フロネシス(賢慮)、実践知、共通善などを重視する徳の経営を唱道された。バブル崩壊後、ポスト冷戦期の日本企業の経営者の多くが萎縮経営に陥り、あるいは米国式経営への浅薄な追随(米国に長くいて、いわば本物を見てきた私から見ればそう見えた)に流れる中で、日本にまだ存在した卓越した経営者の考えを凝縮し、徳や品格のある経営への回帰を、生涯主張し続けられた。
私はそのころ、2004年に「東京大学ものづくり経営研究センター」の設立にセンター長として関わり、産業現場の経営学・経済学に集中していたので、野中先生のご研究の発展を仰ぎ見ながらも、少し遠いところで産業学の研究をしていたと思う。私のものづくり経営学もアリストテレスの哲学体系が一つのベースだが、私は「形而上学」が引用の中心で、最終的にフルオネシス(賢慮)が終着点と思いながらも、基本的にはテクネー(ものづくり知)の探求に集中していた。野中先生は常に先を行かれている感じだ。
ある時、野中先生が「藤本くん、私もいろいろな考えを発信してきたが、人間、一生のうちに、これはと皆に伝えられるコンセプトは、多分一つぐらいだよ。私は知識創造だ。君は何かね」とおっしゃったことがある。私の場合、おそらくそれは「設計情報の転写」ではないかなと思う。それが私の「ものづくり経営学」あるいは「産業学」でもある。
私のこの仕事も、今年あたりで大体一段落して、野中先生に「半世紀近くかかってようやく先生の領域に近づきました」とご報告できそうだったのだが、急のご逝去、本当に残念でならない。少なくともあと十年はご指導いただきたかった。日本・世界の経営学にとって大きな喪失である。
第7回 電気自動車(EV)産業のその後 所長 藤本 隆宏 2024年11月25日
2024年11月25日
電気自動車(EV)産業のその後
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
所長の藤本です。諸事情あってこのコーナーが滞りすみません。再開します。
前回の掲載は2023年初めで、電気自動車(EV)のみが正解・正義であるかのような議論が世に溢れていた。私は、それらが科学的にも論理的にも怪しい一方的な議論だと批判したのだが、掲載をお休みしている間に、実際に「EVオンリー論」の無理や盲点があれこれ露呈した。そうこうするうち、世界のEV販売成長も減速し、結果的には、私が言っていた、より常識的な「総力戦」「多様性重視」の方向に落ち着いてきた感がある。
とはいえ、これでEV産業の成長が終わったわけではない。EVに過剰に期待すれば、次は過剰に失望し、右往左往するだけだ。現状は、今後長く続く次世代自動車間「産業マラソン」の前半戦の一場面に過ぎない。今のEVは長所も短所も多いので、弱点を1つずつ克服し、急成長と停滞を繰り返しながら徐々に存在感を高めるだろう。一方、電気自動車以外の各種ハイブリッド技術、カーボンニュートラル燃料、移動者の行動変容などによる地球温暖化対策の「総力戦」は続く。『中央公論』12月号の拙文もご覧いただければありがたい。
2021年以後の中国EV生産の急拡大と先進国のパニック反応に関して、ここで指摘しておきたいのは、自動車の電動化(EV)とデジタル化(SDV)が融合した、いわばSoftware-defined EV(SD-EV)である。中国自動車産業が(過剰生産や経済停滞の問題を抱えながらも)2023年に世界のEV市場の6割を制してEV強国になった背景には、EV・電池産業に関する中国企業・政府の長期戦略に加えて、米テスラ発で、車載コックピットの大型モニター上でエンターテインメント系のアプリケーションソフトが次々とアップデートされ躍動する「SD-EV」が、中国の若年・高所得・デジタルキッズ層の心を掴んだことが大きい。今のところはかなり中国特殊的な市場現象だが、長期的には、これが世界市場の若年層に深く浸透していく可能性も視野に入れるべきだろう。
SD-EV の成功にとって不可欠なのは、①アーキテクチャがモジュラー寄りのアプリケーションソフトと、②インテグラル寄りの車両制御(組み込み)ソフトという、更新サイクルの異なる2領域を両立させる車載オペレーティングソフト(OS)の存在である。今のところ、各社独自開発のApple的OSと、業界標準のWindows的OSが並立しそうだが、いずれにせよ、テスラや新興中国勢などのEV専業メーカーは、制御ソフトが比較的簡単な分、既存の大手自動車メーカー(多様なパワートレインを制御する必要がある)に対しOS開発で先行できた。それが2020年代前半の中国勢の猛ダッシュにもつながった。トヨタもVWも車載OSで遅れをとっており、その後の競争展開も不透明。2024年には中国市場依存度の高いドイツ勢がピンチに陥っている。
車載のソフトウェアがモジュラー的部分とインテグラル的部分に分かれる点で、SDVは「Software-Divided Vehicle」と呼ぶべきかもしれない。結局、現在のEV情勢は、サステナブル(S)、デジタル(D)、グローバル(G)という「大きなSDG」が勢ぞろいした複雑なゲームと化している。ここには、前出の上空・中空・低空モデルが応用できる。それについては次回に。
第6回 デジタル化の巻(1)上空・低空・地上の三層構造 所長 藤本 隆宏 2023年4月10日
2023年4月10日
デジタル化の巻(1)
上空・低空・地上の三層構造
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
2020年代はSustainable, Digital, Globalの「大きなSDG」の連立方程式を解き続けないと全体最適解が見つからない「ややこしい時代」になった、と言う話を申し上げている。Sustainable(S)の話は前回の「EVオンリー論批判」で一段落とし、これからDigital (D)の話に移りたい。ちなみに、今年になって欧州や中国の電気自動車販売は補助金切れもあって失速、いわば私が言ったとおりの「総力戦」の展開となっているが、これは私の予言が当たったという話ではなく、論理的・科学的・数理的に考えればそれが当然だ、ということである。
言うまでもなく、世界はデジタル化の大潮流の中にあり、遅れているとされる日本はデジタル化(D)で変身!(X)、つまり、DXが叫ばれている。が、今回も日本的な展開で、当初は、とにかくデジタル化のDX、いいからやれのDX、怒られないためのDXなどなど、流行追随・手段先行のDX論が多発したが(インダストリー4.0やIoTの時と同じ)、最近はやや落ち着き、「まず目的が先だよね、そのためのXで、Dは手段だよね」という正論が優勢となってきた。とても良いことだと思う。
それでは、デジタル化時代の日本企業の事業戦略はどう考えるべきか。私は、Capability-Architecture-PerformanceのCAPで産業進化を考える流儀なので、ここでもそれを応用する。図のような「上空」「低空」「地上」の三層構造図は、私がここ数年使っているもので、CAP産業分析をデジタル化局面に応用したものである。
詳細は後述するが、要するに、「上空」は重さの無い記号・論理・言語で完結する世界で、オープン・モジュラー型アーキテクチャの人工物(例えばインターネットサービス)で満たされたサイバー空間、対する「地上」は、重さのある、つまり物理法則の支配する物財の空間で、強烈なサステナビリティ制約を受け、最適設計を要求されるため、クローズド・インテグラル型アーキテクチャの人工物(例えば自動車)が多い。調整能力の高い日本の産業現場は「地上」で「設計の比較優位」を発揮する反面、構想力勝負の「上空」は概して弱く、存在感に欠ける。
さらに2010年代、この二つをつなぐ「低空」層が急速に発達した。いわゆるインダストリー4.0、IoT、エッジコンピューティングなどは全てこの「低空」の現象で、ここが2020年代の産業競争の一つの主戦場となる。地上で強い日本勢は、上空の制空権は取られたが、低空ではまだ勝機がある。
以上が、私がざっと考える、デジタル化時代の産業進化のCAP分析、すなわち「上空」「低空」「地上」分析である。戦略論的な応用編は、次回以降にお話する。
第5回 Sの巻 その2 「電気自動車オンリー論」批判 (2) 所長 藤本 隆宏 2023年2月1日
2023年2月1日
Sの巻 その2
「電気自動車オンリー論」批判 (2)
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
「電気自動車一辺倒論」批判の続きである。
国内外では自動車の地球温暖化対策は電気自動車(B【バッテリー式】EV)しかないとの「BEVオンリー論」が多く見られ、漠然とこれを信じる人も多い。しかし、社会も経済も技術も不確実性の高い数十年単位の大問題に対して、現段階で手段を決め打ちするのは、意思決定論の原則にも反する。何か怪しいと疑うのが賢明であろう。
現代のグローバル自動車産業では競争・紛争・協調が錯綜すると、20年前に拙著『能力構築競争』で書いた。そうなら、各国・各社でこの複合ゲームをリードするのは、「正論」(協調)でも「策略」(競争・紛争)でも負けない、いわば「軍師」的な人材である。現代日本に諸葛孔明が降り立ったなら、日本人にどうアドバイスするか。おそらく彼は、BEVオンリー論を論破し、総力戦論を主張せよと言うだろう。
第1に正論から。あらゆる状況で電気自動車が最適だとの「BEVオンリー論」は、実は正論とは言い難い。車体からCO2がでなけりゃOKとの素朴なTank to Wheel (燃料タンクからタイヤを駆動するまでの)評価は論外である。発電時のCO2発生量も勘案したWell to Wheel (油田からタイヤを駆動するまでの)評価なら、旧式火力発電等でCO2の大量発生する国ではBEVのCO2発生量が最小とは限らない。
さらに、生産・走行・廃棄段階を全て勘案するライフサイクル評価(LCA:Life Cycle Assessment)で見るのがまさに「天下の正論」だが、これだと、BEVは車載電池生産段階(走行距離ゼロ段階)で大量のCO2が固定排出量として発生し、これを走行による変動排出量で取り返すのには10万キロ以上の走行が必要との独VW社の試算もある。特に年間平均数千キロで十数年しか走らない日本では、CO2生涯発生量でBEVが内燃機関車に勝てるかは微妙。むしろ、電池搭載量を大幅に減らせるプラグインハイブリッド車(PHEV)の方が、日本ではCO2発生量が少ない可能性がある。要するに、「BEVオンリー論が正義だ」との強引な主張が国内外にあるが、それが正論であるかは要検討だ。
結局、諸事不確実の現段階で、LCAによるCO2発生量の最小化に対する目的合理的な解は、多様な技術ソリューションの候補を残す「総力戦論」だとの「正論」を理詰めで展開すれば、偏狭なBEVオンリー論は崩せる。国際舞台で日本が主張すべきは、善悪黒白の宗教論争ではなく、多様性を前提とした科学的・目的合理的な正論であり、日本の産業人・政策決定者が主張すべきは実にこれである。
第2に策略論。国際舞台でEVの正義のみを声高に主張する者の一部は、背後に自国中心的な産業政策の策略を持っていると疑うのが自然である。そもそも産業政策は自国中心主義が当たり前。世界自動車産業の3割がBEV化すればその規模は100兆円近く、今の世界半導体産業に匹敵する。各国にとって絶対に負けられない大成長産業だ。日本やドイツなど比較優位国はこれを守り、米中などはBEVへのゲームチェンジで自動車産業を奪取しようと考える。いっけん正論と見えるBEVオンリー論は、実はこうした産業政策的な各国の策略が背後にあると見るべきだ。
では、自国の自動車産業・企業を守る側の日本はどう動くべきか。日本は長年の自動車比較優位国として、多様な技術資源が賦存する。つまり、世界の自動車の地球温暖化対策が多様であればあるほど、日本の自動車産業は国際的に優位になる。これを日本の産業戦略(策略)の起点とすべきだ。
かくして、日本が注力すべき基本路線も見えてくる。すなわち、自動車地球環境対策の正論としては、各地域・各時代の不確実性・多様性を勘案して「総力戦論」が正論であると主張し、拙速なBEVオンリー論(欧州・米中に多い)を科学的計算によって論破する。一方、「総力戦」は多様な自動車技術資源・生産資源を持つ日本が本来優位なので、この「正論」が通れば、日本の産業競争的な「策略」も通る。
要するに、正論でも策略でも負けない「軍師」により、多様性重視の「総力戦論」を国際展開する。これが私の考える、地球温暖化時代における日本自動車産業の「勝ち筋」である。
国内外では自動車の地球温暖化対策は電気自動車(B【バッテリー式】EV)しかないとの「BEVオンリー論」が多く見られ、漠然とこれを信じる人も多い。しかし、社会も経済も技術も不確実性の高い数十年単位の大問題に対して、現段階で手段を決め打ちするのは、意思決定論の原則にも反する。何か怪しいと疑うのが賢明であろう。
現代のグローバル自動車産業では競争・紛争・協調が錯綜すると、20年前に拙著『能力構築競争』で書いた。そうなら、各国・各社でこの複合ゲームをリードするのは、「正論」(協調)でも「策略」(競争・紛争)でも負けない、いわば「軍師」的な人材である。現代日本に諸葛孔明が降り立ったなら、日本人にどうアドバイスするか。おそらく彼は、BEVオンリー論を論破し、総力戦論を主張せよと言うだろう。
第1に正論から。あらゆる状況で電気自動車が最適だとの「BEVオンリー論」は、実は正論とは言い難い。車体からCO2がでなけりゃOKとの素朴なTank to Wheel (燃料タンクからタイヤを駆動するまでの)評価は論外である。発電時のCO2発生量も勘案したWell to Wheel (油田からタイヤを駆動するまでの)評価なら、旧式火力発電等でCO2の大量発生する国ではBEVのCO2発生量が最小とは限らない。
さらに、生産・走行・廃棄段階を全て勘案するライフサイクル評価(LCA:Life Cycle Assessment)で見るのがまさに「天下の正論」だが、これだと、BEVは車載電池生産段階(走行距離ゼロ段階)で大量のCO2が固定排出量として発生し、これを走行による変動排出量で取り返すのには10万キロ以上の走行が必要との独VW社の試算もある。特に年間平均数千キロで十数年しか走らない日本では、CO2生涯発生量でBEVが内燃機関車に勝てるかは微妙。むしろ、電池搭載量を大幅に減らせるプラグインハイブリッド車(PHEV)の方が、日本ではCO2発生量が少ない可能性がある。要するに、「BEVオンリー論が正義だ」との強引な主張が国内外にあるが、それが正論であるかは要検討だ。
結局、諸事不確実の現段階で、LCAによるCO2発生量の最小化に対する目的合理的な解は、多様な技術ソリューションの候補を残す「総力戦論」だとの「正論」を理詰めで展開すれば、偏狭なBEVオンリー論は崩せる。国際舞台で日本が主張すべきは、善悪黒白の宗教論争ではなく、多様性を前提とした科学的・目的合理的な正論であり、日本の産業人・政策決定者が主張すべきは実にこれである。
第2に策略論。国際舞台でEVの正義のみを声高に主張する者の一部は、背後に自国中心的な産業政策の策略を持っていると疑うのが自然である。そもそも産業政策は自国中心主義が当たり前。世界自動車産業の3割がBEV化すればその規模は100兆円近く、今の世界半導体産業に匹敵する。各国にとって絶対に負けられない大成長産業だ。日本やドイツなど比較優位国はこれを守り、米中などはBEVへのゲームチェンジで自動車産業を奪取しようと考える。いっけん正論と見えるBEVオンリー論は、実はこうした産業政策的な各国の策略が背後にあると見るべきだ。
では、自国の自動車産業・企業を守る側の日本はどう動くべきか。日本は長年の自動車比較優位国として、多様な技術資源が賦存する。つまり、世界の自動車の地球温暖化対策が多様であればあるほど、日本の自動車産業は国際的に優位になる。これを日本の産業戦略(策略)の起点とすべきだ。
かくして、日本が注力すべき基本路線も見えてくる。すなわち、自動車地球環境対策の正論としては、各地域・各時代の不確実性・多様性を勘案して「総力戦論」が正論であると主張し、拙速なBEVオンリー論(欧州・米中に多い)を科学的計算によって論破する。一方、「総力戦」は多様な自動車技術資源・生産資源を持つ日本が本来優位なので、この「正論」が通れば、日本の産業競争的な「策略」も通る。
要するに、正論でも策略でも負けない「軍師」により、多様性重視の「総力戦論」を国際展開する。これが私の考える、地球温暖化時代における日本自動車産業の「勝ち筋」である。
第4回 Sの巻 その2 「電気自動車オンリー論」批判 (1) 所長 藤本 隆宏 2022年5月30日
2022年5月30日
Sの巻 その2
「電気自動車オンリー論」批判 (1)
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
平時の話に戻る。「大きなSDG」のS(サステナブル)、特に地球温暖化と乗用車について考える(商用車はより難物だが別の機会に)。
自動車の地球温暖化対策には、電気自動車のみが是で、その他は否だ、という「電気自動車(BEV)オンリー論」に私は反対だ。目的(地球温暖化防止)と手段(電気自動車普及)が混同され、論理の混乱があり、要するに筋の悪い議論だからである。お断りするなら、私は電気自動車の早期普及は強く肯定する。つまり、私が否定するのは、BEVではなく、BEVオンリー論である。ちなみに、拙宅の車庫には何年も前から充電用の電気が来ている。
言うまでもなく、目的は21世紀半ばにおける地球温暖化の完全制止。BEV等々はその手段だ。そして約30年後に上記目的を達成するには、2020年代の努力集中と中間目標達成、例えば生産も運転も含む乗用車由来のCO2発生量の30%近い削減が必須だろう。では、どんな手段ミックスで実現するか。
(A)電気自動車抜きでは無理だ, (B)電気自動車だけでは無理だ, (C)電気自動車以外はダメだ ― この3論のうち、私が是とするのは(A)と(B)、否とするのは(C)のBEVオンリー論だ。(C)は、この長期問題に対し、特定手段に尚早に絞り過ぎ、故に戦略論の基本に反する悪手だ。ことは重大、勢いやスローガンで論じてもらっては困る。
少なくとも当面は、BEV、ハイブリッド車、内燃機関改良、燃料革新から行動変容まで、あらゆるCO2削減手段を総動員する「総力戦」が正解だ。それは、簡単な排出量計算や科学的データで分かる。
自動車の地球温暖化対策には、電気自動車のみが是で、その他は否だ、という「電気自動車(BEV)オンリー論」に私は反対だ。目的(地球温暖化防止)と手段(電気自動車普及)が混同され、論理の混乱があり、要するに筋の悪い議論だからである。お断りするなら、私は電気自動車の早期普及は強く肯定する。つまり、私が否定するのは、BEVではなく、BEVオンリー論である。ちなみに、拙宅の車庫には何年も前から充電用の電気が来ている。
言うまでもなく、目的は21世紀半ばにおける地球温暖化の完全制止。BEV等々はその手段だ。そして約30年後に上記目的を達成するには、2020年代の努力集中と中間目標達成、例えば生産も運転も含む乗用車由来のCO2発生量の30%近い削減が必須だろう。では、どんな手段ミックスで実現するか。
(A)電気自動車抜きでは無理だ, (B)電気自動車だけでは無理だ, (C)電気自動車以外はダメだ ― この3論のうち、私が是とするのは(A)と(B)、否とするのは(C)のBEVオンリー論だ。(C)は、この長期問題に対し、特定手段に尚早に絞り過ぎ、故に戦略論の基本に反する悪手だ。ことは重大、勢いやスローガンで論じてもらっては困る。
少なくとも当面は、BEV、ハイブリッド車、内燃機関改良、燃料革新から行動変容まで、あらゆるCO2削減手段を総動員する「総力戦」が正解だ。それは、簡単な排出量計算や科学的データで分かる。
次回、その説明を続ける。
第3回 「戦艦ポチョムキン」 所長 藤本 隆宏 2022年3月4日
戦艦ポチョムキン
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
今回は電気自動車の話の予定だったが、急遽変更する。
ロシア軍のウクライナ侵攻とその後の惨事を知り、最初に思い出したのは、ソ連の映画監督エイゼンシュテインの名作「戦艦ポチョムキン」(1925年)だ。現在は著作権が切れ、ネットに山ほどある。個人的には、ショスタコーヴィチ交響曲第5番付きで、最後の転調が画面とぴったり合っている1976年Sovexportfilm版をお勧めする。
帝政ロシア末期、日露戦争中の1905年、腐ったスープがきっかけの戦艦内の反乱、黒海の港町オデッサでの帝政ロシア兵による市民虐殺(モンタージュ技法で有名なオデッサの階段)、ポチョムキン討伐に向かったロシア黒海艦隊の寝返りと合流、帝政ロシア崩壊の暗示、等々を描いた空前絶後の無声映画だ。
前置きが長すぎたが、舞台であるオデッサは、ウクライナにある。大階段は今も残る。時代背景から、ソ連礼賛でもあったこの映画のテーマは、上層部の変調、軍の士気低下、その一部の離反、同調する市民の虐殺、より多くの離反による内部崩壊-であったと思う。
かの地ではなぜか、この同じテーマが繰り返されるように見える。ハンガリー動乱、プラハの春、アフガン戦争、そしてソ連の崩壊。皮肉にもポチョムキンとよく似た流れではなかったか。
ロシア軍のウクライナ侵攻とその後の惨事を知り、最初に思い出したのは、ソ連の映画監督エイゼンシュテインの名作「戦艦ポチョムキン」(1925年)だ。現在は著作権が切れ、ネットに山ほどある。個人的には、ショスタコーヴィチ交響曲第5番付きで、最後の転調が画面とぴったり合っている1976年Sovexportfilm版をお勧めする。
帝政ロシア末期、日露戦争中の1905年、腐ったスープがきっかけの戦艦内の反乱、黒海の港町オデッサでの帝政ロシア兵による市民虐殺(モンタージュ技法で有名なオデッサの階段)、ポチョムキン討伐に向かったロシア黒海艦隊の寝返りと合流、帝政ロシア崩壊の暗示、等々を描いた空前絶後の無声映画だ。
前置きが長すぎたが、舞台であるオデッサは、ウクライナにある。大階段は今も残る。時代背景から、ソ連礼賛でもあったこの映画のテーマは、上層部の変調、軍の士気低下、その一部の離反、同調する市民の虐殺、より多くの離反による内部崩壊-であったと思う。
かの地ではなぜか、この同じテーマが繰り返されるように見える。ハンガリー動乱、プラハの春、アフガン戦争、そしてソ連の崩壊。皮肉にもポチョムキンとよく似た流れではなかったか。
そして、ソ連崩壊後に成立したロシア連邦で、デジャヴとも言うべき事象の連鎖が、また起こっている。なぜ繰り返されるのか。結末は今回も同様なのか。日本の我々に何ができるのかを考え続けるしかない。
第2回 「Sの巻 その1 大きなSDGの総合解を解け」 所長 藤本 隆宏 2022年1月7日
Sの巻 その1
大きなSDGの総合解を解け
大きなSDGの総合解を解け
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
前回、軍師的人材が必要と述べた。高高度において広視野の戦略的思考、地上において「重要な細部」を見切るオペレーション知識、この二つを連続的につなぐことのできる人材である。
まず高高度を見る。軍師人材は、サステナブル・デジタル・グローバルという「大きなSDG」の方程式を解き、全体最適解を出す。これらをバラして個々に対しキャッチーな発言をすれば短期的には受けるが、それは流行と共に消える部分最適解に過ぎない。
まずS(サステナビリティ)。国連が掲げるSDGsの17ゴール169ターゲットは全て重要で、多くが具体的目標値を伴う点が素晴らしい。しかし、これらは羅列的でもある。では17目標のさらに上の大目的は何か。常識的に言えば「不条理な理由で死ぬ人、悲惨な人生を送る人を地球上から一人でも減らすこと」か。
この大目的に対して、17目標は独立してはおらず、その間にトレードオフもバランスも存在する。従って、17を暗記し、貢献できそうなものを見つけてアピールし、どれか1目標の達成を絶対優先すればよいのではない。
例えば、地球温暖化問題の一手段として電気自動車は有効かつ重要だが、他方で、大災害時に備え複数のエネルギー源を地域に確保することも重要だ。SDGsのうち1目標のみを分離して絶対達成(したがって絶対優先)を叫ぶ前に、大目的に鑑みバランスを考えるべきではないか。
天下三分の計も然りだが、高高度においては、人よりさらに高いところから対極的に見るのが、軍師の目であろう。
第1回 「産業の軍師出でよ」 所長 藤本 隆宏 2021年11月1日
産業の軍師出でよ
一般社団法人経営研究所
所長 藤本 隆宏
2020年代、世界の産業はどのように進化するだろうか。
私は過去20数年、産業現場の組織能力(Capability)の進化、製品など人工物の設計思想(Architecture)の進化、そしてこの2つの動態的な適合が各国・各地域の各産業の競争力(Performance)の長期的趨勢に影響するとみる「CAPアプローチ」および「設計の比較優位説」に基づき、様々な産業現象の過去・現在・未来の説明を試みてきた。なかなか使い勝手が良いので、私はこのCAPアプローチを多用してきた。
これを2020年代に応用するとどうなるだろうか。
これを2020年代に応用するとどうなるだろうか。
結論から言うと、日本の企業・産業にとって苦戦の連続であった過去30年、サイバー空間でメガプラットフォーマに置いていかれた2010年代を経て、次の10年はようやく、戦いようによっては日本企業にとって面白い展開もある、という局面になってきた。その詳細は次回に論じたい。
しかし、うまくやらなければ、また負けるということも予想できる。そこで今必要なのは、世界の大局判断にも現場の局地戦にも強く、大きな潮目を読み切り、頭も体も動く、いわば産業の「軍師」タイプの人材だと私は考える。
彼らが直面するのは、サステナブル(Sustainable)、デジタル(Digital)、グローバル(Global)の3大潮流が複雑に絡み合う、いわば「大きなSDG」のややこしい時代である。そこで必要なのは、ぶれない座標軸を持ち、流行に振り回されず、大きなSDGの連立方程式を解き切る上記の人材である。現世代・次世代から、そうした軍師的才能の続出を期待したい。
しかし、うまくやらなければ、また負けるということも予想できる。そこで今必要なのは、世界の大局判断にも現場の局地戦にも強く、大きな潮目を読み切り、頭も体も動く、いわば産業の「軍師」タイプの人材だと私は考える。
彼らが直面するのは、サステナブル(Sustainable)、デジタル(Digital)、グローバル(Global)の3大潮流が複雑に絡み合う、いわば「大きなSDG」のややこしい時代である。そこで必要なのは、ぶれない座標軸を持ち、流行に振り回されず、大きなSDGの連立方程式を解き切る上記の人材である。現世代・次世代から、そうした軍師的才能の続出を期待したい。


